daikosh's blog

1日1アウトプット

共感は、人をまひさせる

 

共感は、人をまひさせる(ミッツ・マングローブ) 

 

これは先程読んだ、ミッツ・マングローブのインタビュー記事のサブタイトルの一つだ。私はミッツ・マングローブのことを特段知っているわけでもなく、ファンでもなんでもないのだが、なんとなく読んでしまった。今回はこの記事を読んで思ったことを書いてみる。(URL:https://m.newspicks.com/news/4234235/body

 

このインタビューでミッツは、最近の人たちは何に対しても共感しがちで、そのことに懸念を抱いていると語っている。例えば、自然を観て「癒やされる」と言う人たちに疑問をいだいているそうだ。彼曰く、自然というものはそもそも怖いもので、自然を見ることと、癒やされることは結びつかないそうだ。この例が適切かどうかはさておき、確かにミッツの指摘に賛同できるし、自分にも心当たりがある。私は、自分の意見を持つことを心がけており、できるだけ安易に共感するタイプではないが、めんどくさいときや、相手が上の立場であったりするときは、共感してコミュニケーションを済ます事が多い。

私のことはさておき、この「共感する」という行動には問題点が2つあると思う。一つは思考力の低下である。どんな事柄に対しても、共感しておけばとりあえずその場は丸く収まることがほとんどであろう。しかし、この作業に慣れてしまうと、いざというときに自分の頭で考えて、自分の意見を持って議論することもできず、正しい選択をすることができなくなるのではないだろうか。少し話は飛躍するかもしれないが、これが愚民政治の根源なのかもしれない。もう一つは、人間関係の希薄化である。共感することにより、その場ではゆるくつながるかもしれないが、深いつながりを紡ぐことは難しいと思う。というのも、共感するだけでは、そもそも議論にならないからである。常に相手の意見に反対しろと言っているわけではなく(フランス人は話に深みを持たせるために相手の意見には必ず反対するということを聞いたこともあるが。)、あくまでも共感しているだけでは何も生まれないということを言いたいのだ。

では、なぜこのような人が増えたのだろうか。私は、SNSが大きな原因ではないかと思った。SNSはその構造上、「いいね」や「お気に入り」「リツイート」など、共感を表す機能が必ずと言っていいほど搭載されており、1秒で共感することができる。しかも、厄介なことにそれは投稿者の承認欲求を満たす。ユーザーは他のユーザーの投稿に共感することで、自分の投稿に対する共感を増やし、自分の承認欲求を満たそうとする。このように、ユーザー同士の相乗効果によって「共感型社会」というものが出来上がっているのではないだろうか。

 

また、ミッツは最近の世の中の動向に対してこんなことも言っていた。

 

「最短距離」は色気に欠ける(ミッツ・マングローブ) 

 

この言葉は、心に刺さった。昨今のテクノロジーの発展速度が急激に加速している時代では、「わかりやすさ」「正解」「効率」が重視され、「面倒臭さ」は排除されていっているが、ミッツは「面倒臭さ」の重要性を説く。彼の母親は、大概のことを「粋」か「ヤボ」で判断していたそうで、その影響が大きかったようだ。これを聞いて、社会学者の宮台真司が人間関係に関する非合理性の重要性を説いていたことを思い出した。宮台は、効率や損得勘定で動く人が多くなりすぎているため、それらを(非合理的である)人間関係にまで持ち込んでしまうことによって人間関係の希薄化や恋愛離れが進行していると主張している。ミッツは色気に対してのみ言及していたが、これは何も色気だけの話ではない。(もちろんミッツも色気を「粋」な表現にしているのだろう。)私は、人間関係には「わかりやすさ」も「正解」も「効率」など存在せず、そもそも「面倒臭い」もので、それらに対する許容力や忍耐力のようなものが現代人には不足しているのかもしれないと思った。

最後は、ミッツの言葉で締めたいと思う。 

 

結局、色気とは「時間と手間」をかけることで生まれるものですから。ミッツ・マングローブ)