daikosh's blog

1日1アウトプット

『海獣の子供』を観て。

 

今日は初めて一人で映画館に行った時の話をしたいと思う。約2ヶ月ほど前だろうか、『海獣の子供』という作品を観に行った。きっかけは、米津玄師の『海の幽霊』のミュージックビデオだった。Youtubeは必ずと言っていいほど毎日観ているのだが、ある日、米津玄師のチャンネルを登録していたためか、おすすめ動画にそのMVが出てきたので観たのだ。以前から新曲として『海の幽霊』がアップロードされていたことは知っていたが、その時までは、なんとなく観ていなかったのだ。再生されてから数秒ほどで、私は動画の世界に引き込まれていた。今まであまり観たことのないタッチの画の美しさとポップスなのにシンフォニックで神秘的な音楽。これが『海獣の子供』という映画の主題歌であることを知った私は、これは映画を観るしかないと思ったのだ。 

 

簡単に映画のあらすじを紹介したいと思う。(※ネタバレ注意)

主人公はごく普通の中学生の女の子、琉花(るか)。彼女がジュゴンに育てられたという二人の兄弟、空と海に出会う。その頃、クジラが都市部で出現したり、大量の魚が岸辺に打ち上げられたりと、世界は海の異変に気づいていた。研究者の中では、「生命の誕生祭」と呼ばれるものが起こるという噂がたち、その鍵となるのが空と海だとされていた。琉花と空、海の二人との出会いと別れ、そしてその祭の前後をこの映画では圧倒的な画で表現している。

また、この映画は「星の海 星の子供 星の誕生の物語」というプロローグから始まる。しかし、実際に宇宙空間でストーリーが繰り広げられるわけではないし、星が出てくるわけでもない。ではプロローグはどういう意味なのか。実は、海獣の子供は星のこどもを模擬しているというのだ。確かに、プロローグの他に次のようなセリフがあった。

「隕石は精子、海は卵子、地上は乳房。」(『海獣の子供』より)

しかし、それがわかったからと言ってこの作品を完全に理解するのには程遠かった。それほど、謎が多い作品だった。いずれにせよ、この映画のテーマは、広義の意味での「生命」であることに間違いはないはずだ。作中にこのようなセリフがある。

「宇宙、そら、うみ、生命。全て同じ物質でできている。だから、宇宙も人間は似ている。いや同じなんだ。」(『海獣の子供』より)

まるで、ウパニシャッド哲学の梵我一如ではないか。梵我一如とは、我(認識するもの、自我)と梵(認識されるもの、この世界のこと)は同じだという意味である。この世の中の仏教の悟りの境地はまさに梵我一如を悟る(体験する)ことである。作者が梵我一如を思ってこのようなセリフを書いたかどうかは知らないが、少なくとも同じようなことを言いたかったのではないだろうか。

 

話が少しそれてしまったが、今回私が思ったのは人間は擬人化が好きだということだ。最近でいうと『はたらく細胞』なんかは良い例だ。体内の細胞や赤血球などを擬人化した漫画、アニメである。その他にも、古事記ギリシャ神話では自然を擬人化(実際には神様なので「疑神化」とでも言うべきなのかもしれない。)しているし、 国民的アニメのアンパンマンなんかも食材を擬人化している。人間は擬人化することで楽しみ、そして理解を深めるのだと思う。

 

最後に、まだ米津玄師の『海の幽霊』のMVご覧になっておられない方は是非観ていただきたい。そして、残念ながらもう映画館ではやっていないが、機会があれば映画『海獣の子供』も観ていただけると幸いである。

 

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