daikosh's blog

1日1アウトプット

『正義の教室』を読んで。ー補足ー

 

前回、絶対主義と相対主義の対立を用いて、西洋哲学史について話したが、今回は現在暫定の勝者である構造主義及びポスト構造主義について話しておきたいと思う。

構造主義を簡単に説明すると、人間はコップの中の水のような存在で、コップの形状によって水の形が変わるように人間も環境や社会システムなどの「構造」によって考え方が変わるというものである。この考え方を提唱したのが、レヴィ=ストロースフーコーなど、フランスの哲学者である。その中でも、フーコーは『監獄の誕生』という哲学書を出し、現在の「構造」がどのようになっているかを説明した。監獄とはその名の通り、犯罪者を囚人として拘束している刑務所のことである。18世紀頃までは、犯罪者は火炙りなど公開処刑をするというのが常識であった。しかし、19世紀になって、公開処刑のかわりに監獄というシステムが登場し、現代も同じシステムが適用されている。これが一体何を意味するのだろうか。

 

まず注目すべきことは、刑務所という存在が我々にどんな意識の変化をもたらしたか。それは『正常と異常』の境界をはっきりさせたことだとフーコーは唱える。(『正義の教室』より)

 

刑務所は異常な人(囚人)を保護して、正常な人間に矯正するシステムである。そのためには異常な人を監視する必要がある。さらに、この話は刑務所に留まらない。

 

私たちは、ベンサムが設計した刑務所、パノプティコンの中に生きている。(フーコー

 

パノプティコンは全展望監視システムと訳され、マジックミラーやブラインドなどによって囚人から看守が見えない構造をした刑務所のことである。まさに究極の管理社会である。周囲の人の目を気にしないで生きていくことはできず、まさにそれが現在の社会システムの「構造」であるとフーコーは言っているのだ。彼がこれを唱えたのは1970年だが、それ以降に誕生したインターネットやSNSの普及は、さらにこの管理社会を助長している。他にもドライブレコーダーや監視カメラなどはまさに管理社会を象徴する産物である。おそらく今後も技術の発展と共に管理社会は成長し続けるだろう。結果、どんどん犯罪は少なくなり、安心安全な社会が保障されていくのかもしれない。しかし、私はこの本を読んだことによって、このような社会の進化に一抹の不安を覚えた。

 

『正義の教室』シリーズは今回で終わりたいと思うが、どうだっただろうか。少なくとも、現在までの西洋哲学の大きい流れはご理解ただけたのではないだろうか。この本を読んだのは数ヶ月前だが、私も記事を書くことによって知識が整理され、改めてアウトプットの有用性に気づかされた。今後も同じように本の紹介記事を書くことが度々ある思われるが、本の要約だと思って読んで頂ければ幸いである。