daikosh's blog

1日1アウトプット

仏教の悟りとは。ー釈迦ー

 

今回は仏教の創始者である釈迦について話したいと思う。

彼はある国の王子であり、非常に裕福な生活を送っていた。しかしある日、家の西門から外を見ると、死人が倒れていたのを目撃する。同様に、東門の外には老人、南門の外には病人を見つける。彼はそれらを見て衝撃を受け、恐怖のどん底に突き落とされるのであった。そう、彼は死人も老人も病人も見たことが一度もなかったため、老病死の存在を知らなかったのである。実は彼の父親(王様)はスーパー過保護で、美しいもの以外は釈迦に見せないという教育方針をとっていたのである。どんな無茶苦茶な教育なんだと突っ込みたくなるのだが、いずれにせよこの時に初めて釈迦は老病死の存在を知ったのであった。同様にして、釈迦は恐る恐る北門の外を見てみた。すると、出家している修行僧がいたのである。当時ウパニシャッド哲学の影響で、出家は大ブームだったのである。彼らが老病死から克服するために出家しているということを知った釈迦は、自分も出家することを決心するのでった。ちなみにこの話を「四門出遊」という。この話が本当にあったのかフィクションなのかは置いておいて、とりあえず釈迦が出家したのは事実である。また、そもそも出家(悟りの境地に行くための修行)はカースト最上位のバラモンにしか認められていなかったが、王子はクシャトリア(王族・戦士)という上から二番目のカーストの中であり、さらに最上位だったため、出家の真似事でもやっているのだろうといった具合で黙認されていたのだろう。(後に何人かのバラモンが弟子として彼についたことも許容された理由の一つであるとされている。)もし釈迦が王子でなかったとすると、仏教は生まれていなかったのかもしれない。

 

さて、彼は6年間を費やして山に籠もって苦行を続けた。しかし、一向にヤージュニャヴァルキヤの言う梵我一如を知るという悟りの境地に達することはできなかったのである。そんな中、なぜだろうと考え抜いた末に釈迦はあることに気がつく。

「苦行って悟るのにむしろ逆効果じゃね?」

苦行をすればするほど、自己の誤った同化を促進するのではないかということに気づいたのである。映画館のたとえ話で説明すると、怖い映画であればあるほど、その映画の世界にのめり込んでしまうということだ。そこで、彼が偉かったのは、悟りの境地に達するための苦行とは正反対の新しい方法を思いついた点である。それが「瞑想」である。彼は後に中道という言葉を用いて説明している。中道とは極端ではない状態のことである。あらゆる雑念を無視して、抽象度の高い世界でこの世界を把握しようとしたのである。(詳しくは後日説明する。)映画と観客の関係を体感しようとしたである。そしてついに釈迦は悟りの境地に達したのであった。その場所が、あの有名な菩提樹の下であった。ここで、釈迦は仏陀となったのである。仏陀とは「目覚めた人」すなわち「悟った人」という意味である。そして、彼は残りの人生をかけてこの悟りの境地を弟子たちに伝達したのであった。その内容について説明したいと思う。

 

まず初めに、釈迦は「四諦」と「八正道」と「中道」ということを言った。簡単に説明しよう。「四諦」とは「人生は苦しいけど、その原因は煩悩(執着心)であり、それを無くせば楽になるよ。」ということである。そして「八正道」とは「悟りのためには正しい生き方をしなさい」ということである。「中道」は先ほど説明したとおり、極端ではない状態に身を置くことで悟ることができるということである。これらの釈迦の初めの説法を「初転法輪」という。しかし、これらは釈迦の悟りの本質ではない。後に釈迦は「我(アートマン)は存在しない」という無我の主張をしたのだ。これは一見悟りの境地である「梵我一如」の否定に思われるが、一体どういうことだろうか。彼は大衆が必ず誤って理解するということを知っていたのだ。

大衆は、その言葉を「理屈」としてそのまま受け取り、

「私(アートマン)は、『に非ず、に非ず』としか言えないもの、である」

「私(アートマン)は、捉えることも害することもできないもの、である」

という形で、「私(アートマン)」を概念化してしまったのだ。

(『最強の哲学入門 東洋の哲人たち』)

お分かりいただけるだろうか。ヤージュニャヴァルキヤは「梵我一如」、すなわち「梵(宇宙全体)」と「我(自我)」は同じであると言ったのだ。しかし、そもそも「我(認識するもの)」を意識している時点で、「梵(宇宙全体)」と同じという理解(体感)していないのである。このことに気づいた釈迦は、熟考の末、無我と言って「我」を破壊しようとしたのである。

 

しかし、どんなスーパースターにも寿命は存在する。運が悪かっただけのか、意図的な暗殺だったのか定かではないが、なんと彼は毒キノコを食して死ぬのである。そうなると大変だ。実は釈迦が言っていたことには「一貫性」が全く無かったのである。生きている時は事あるごとに釈迦に相談することができたが、それができなくなってしまったのだ。ではなぜ釈迦の言うことに「一貫性」が無かったのだろうか。それは東洋哲学の性質とでも言えばいいだろうか。

そもそも、釈迦を代表とする東洋の哲人たちは嘘を付きまくるのである。ここが東洋哲学のとっつきにくい部分でもある。どういうことかと言うと、東洋哲学では論より結果が重要なのである。つまり、どんな方法であろうとその人を悟らせれば勝ちなのである。またたとえ話をしたいと思う。あなたは火事になっている家と遭遇したとする。しかも、よくみてみるとその家にはどうやら子供がいるようだ。あなたは火事になっているから早く出てきなさいと叫ぶが、子どもたちは事の重大さに一向に気づかず、遊びに夢中になっており動く気配すらない。そんなとき、子どもたちを救うためにはどうすればよいだろうか?「こっちにもっと面白いおもちゃがあるよ!!!」あなたはこの嘘で子どもたちを救うことに成功したのだった。このように、東洋哲学では嘘も方便なのである。

さて、話をもとに戻そう。釈迦の死後、弟子たちの中で大きく2つの流派に分裂してしまう。上座部仏教大乗仏教である。原理主義的な釈迦の言葉を忠実に守り、釈迦の悟りとは「縁起」であると解釈した弟子たちが上座部仏教を完成させ、一方では、釈迦の悟りとは「空」であると解釈をした弟子たちが、龍樹(ナーガールジュナ)を中心として大乗仏教を完成させるのであった。次回は、この2つの流派について話したいと思う。

 

(明日に続く)