daikosh's blog

1日1アウトプット

自動運転車とトロッコ問題。

 

「トロッコ問題」を取り上げた自動運転車の倫理的な問題に関する記事を読んだのでそれについて。

newspicks.com

「トロッコ問題」については、『正義の教室』シリーズで話したので詳細は割愛する。要は「何もしないで5人を轢き殺すか、レバーを引いて1人を轢き殺すかしか選択肢がないとき、あなたはどうするか?」という正義について考えるための思考実験である。この記事のテーマは「この問題のような状況に自動運転車が陥ったとき、どのような判断を下すか。」というものである。

自動運転の頭脳は人工知能(AI)である。AIがこのような問題を考え、どのような犠牲を選択するか判断するとなるとなんだか恐ろしい話に思えるかもしれない。読者の中にはターミネーターのような世界を思い浮かべる人もいるかもしれない。しかし安心してほしい。認知科学についての記事で以前少し話したが、AIは意思を持っていない。というよりか、AIに意思をもたせることは現時点で不可能である。どのようなデータを入れてどのように学習させるかなど、設計の仕方にAIの出す結論は変わってくる。従って、このような倫理的な問題は、やはり人間が考えるしかないのだ。また仮にAIがこのような問題に答えを出したとしても、それを受け入れるかどうかは我々が考えなければならない。結局のところ、この「トロッコ問題」は我々人類に常に突きつけられているのである。

 

また興味深かったのが、「トロッコ問題」の判断には地域や国による差があることについても書かれていた。その差は大きく3つのグループに分けられるという。

まず、北米やヨーロッパ諸国を含むキリスト教が支配的である国。次に、日本やインドネシアなど、儒教イスラム教の強い国。最後に、中南米など旧フランス植民地の国。1番目の国々は、2番目よりも高齢者より若者を救うことを選ぶ傾向があったという。

さらにコロンビアなど貧富の差の大きい国の人は、より低い地位の人を犠牲にすることを選び、強力な法治国家である日本やフィンランドは “違法”に道路を横切る人に対して冷たい措置をとる選択をしたという。

(『「Aを轢けばBが助かる」そのとき自動運転車は誰を殺すのか?――「トロッコ問題」が提起する倫理的ジレンマ』https://newspicks.com/news/4297694/

この結果を見てどう感じただろうか。この結果はまさにこの世界が構造主義であるという一つの根拠になるのではないかと感じた。構造主義は以前に少し取り上げたが、人類における正義は環境や社会などの構造によって変わるという考えの立場のことである。おそらくこの差は地域だけでなく、年齢や性別、育ってきた環境などで変わってくるだろう。このことからも「トロッコ問題」のような正義に関する問いには答えがないことがよく分かる。同時に、AIが答えを出した場合でもその結論は一つの「構造」の中でのものであるということも理解しておくべきだろう。

 

最後に、コメントにも書かれているがこの記事はあくまでも自動運転車の倫理的問題の一つを取り上げているだけである。この問題よりも、自動運転車が事故した時に誰が責任を負うのかといったような、より現実的で優先すべき課題が未だ山積みなはずだ。また、そのような状況に陥らないようにすることがベストであるのも事実である。ただ「トロッコ問題」のような哲学的な問題を流行りの自動運転車の問題として取り上げることにより、正義について考えるきっかけを作ったといった点では評価できるのかもしれない。