daikosh's blog

1日1アウトプット

宗教としての仏教。

 

ブッダ 大いなる旅路』。これは1998年に放送されたNHKスペシャルで取り上げられていたテーマの一つである。先週末に先輩と飲みにいった話をちらっとしたが、その時に教えてもらったものだ。実は12月に学会でインドに行くのだが、一度訪問されていた先輩に情報を聞くために飲みに行ったのだ。そこで仏教の話になり、この番組を見るべきだと言われたのである。2日ほどで全編を見きれたので、紹介も兼ねて記事にしたいと思う。以前に仏教の悟りについての記事を書いたが、そこでの話は哲学としての仏教であった。しかし、この番組では宗教的な目線から見た仏教である。おそらくこちらのほうが王道だろう。そこで、仏教の悟りの記事でも取り上げた『般若心経』のあの有名な一節が取り上げられていたので、紹介したいと思う。

 

色即是空

色とはこの世の一切の形あるもの。空とは実態がなく、変化してやまないこと全ては移ろい消えてゆく。

 

これは絶望の言葉として紹介されていた。どんなに努力して積み上げたものでもやがて消え去る。また全ての人間は死ぬのである。そんな現実世界を表している言葉である。

しかし、その後に希望の言葉続くのである。

 

空即是色。

全てが消え去ったところからまた新たなものが生まれてくる。空よりまた全てが始まる。救いの思想が生まれた。

 

この2つの言葉を絶望と希望と対比させて捉えたというのだ。このことを知ると、実によく出来た言葉だと感心してしまった。

この「空の思想」が生まれたのは紀元1、2世紀ごろの話である。ゾロアスター教を信じるイラン系民族のクシャーン族が、仏教が栄えていたガンダーラの地を制服した頃である。騎馬族である彼らの戦力に圧倒されながらも、仏教徒たちは逃げて身を潜めたそうだが、結果的にはおよそ9億人が殺されたそうだ。戦争も経験したことがない我々にはそれらの恐怖がいかほどのものだったかを想像することさえも難しいが、おそらく耐え難い苦しみだったに違いない。そんな中誕生したのが救いの思想である「空の思想」なのだ。また、同時期に仏像が誕生している。そもそも釈迦は偶像崇拝を禁止(正確には偶像作っても何の役にも立たないといったようなことを言っていたそうだ。)していた。しかし、釈迦の死から約500年以上経ち、仏教徒を襲った恐怖が作らせたのである。彼らは救いを求め、ひと目でもブッダ(釈迦)を見たいと願ったのである。これが仏教における偶像崇拝の始まりだ。

 

哲学とは贅沢だ。余裕を持った人間が行う暇つぶしなのである。従って、以前に紹介した仏教の悟りは現代人に適していると思う。それに対して、宗教とは恐怖や苦しみから逃れるために生み出された救いなのである。当時の仏教徒に「空即是色は間違っててね、空包摂色の方が正しいんだよ」と理屈をごねたところで何の救いにもならなかっただろう。また「釈迦は偶像崇拝に意味が無いと言っていたよ。」と話したが、確かに哲学的、論理的には意味のないことなのかもしれないが、恐怖を目の前にした仏教徒にはきっと大きな意味を成していたに違いない。この番組を見たことで、一元的な理解をするのではなく、多角的に物事を知る楽しさを身をもって知ることが出来た。

 

今回取り上げた宗教としての仏教の話だが、それはこの番組のほんの一部である。興味がある方はYoutubeに全編上がっているのでチェックしてみてほしい。 

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