daikosh's blog

1日1アウトプット

鳩摩羅什(くまらじゅ)。

 

ブッダ 大いなる旅路』に引き続き『新シルクロード』シリーズの全7集を見終えた。西のローマ帝国と東の漢を結んでいたシルクロードについてのドキュメンタリ番組である。そんな中、今の仏教に多大なる影響を与えた鳩摩羅什(くまらじゅ)という僧侶を知ったので紹介したいと思う。実は彼こそが『般若経』、『阿弥陀経』、『法華経』などほとんどの経典を漢語に翻訳した人物なのである。

 

彼は346年に亀茲国に生まれる。亀茲国とは、かつてシルクロードに栄えたオアシスの一つであり、タクラマカン砂漠天山山脈の間を通る天山南路に位置する仏教大国である。現在ではクチャと呼ばれており、人口の約9割はイスラム教徒である。亀茲国の人たちは音楽が好きで、亀茲楽と呼ばれる彼らの音楽は日本の雅楽のルーツとも言われているそうだ。鳩摩羅什の父はインドからの亡命貴族、母は白人系亀茲国の王女。このことからも、シルクロードで様々な人種が入り混じっていたことが窺える。

381年、7万の大軍勢が長安より送られてくる。時は騎馬民族も中国も分裂する五胡十六国時代であった。1年後に亀茲国は焼き払われ、ついに鳩摩羅什は将軍に捉えられるのであった。将軍は鳩摩羅什に嫌がらせを働き、捉えた亀茲王の娘を妻として宛てがおうとした。僧侶にとって女性と関係を持つことは重い罪であるため、鳩摩羅什は必死に脅迫を拒み続けた。ここで、彼は『降魔成道図』という画が頭の中に浮かんだという。その図は、釈迦が魔王からの誘惑に堪え忍び、ついには退けるという伝説を描いたものだ。その時の釈迦は35歳。鳩摩羅什も35歳。釈迦に自分を写したのだろう。しかし現実はそんなに甘くなく、心身に支障をきたしてしまい、ついには戒律を破ってしまうのであった。。。

その後、鳩摩羅什は戦利品とともにシルクロードを東へと連行され、途中の涼州で17年間軟禁される。そこでは将軍の話し相手になったり、戦争の占いをさせられたりしたそうだ。中国語を学べたことがせめてもの救いだったと語っている。そして時が過ぎ401年、長安に連れてこられた鳩摩羅什は、新しい王朝である後秦の皇帝の命により、膨大なサンスクリット語の仏典の翻訳という仕事を与えられた。皇帝は、新しい思想である仏教を利用して国家を統治しようと考えていたのだ。

 

鳩摩羅什は合計で300巻もの経典を翻訳したそうだ。それらの中で、仏教の教えを僅か8文字に凝縮したのが「色即是空、空即是色」である。その他にも「極楽」といった熟語を作ったのも彼だ。また、原典にはない独自の表現が多数付け加えられているのだ。例えば「共命之鳥(ぐみょうちょう)」という架空の動物は原典には存在しないそうだ。この鳥には頭が2つ、胴体が一つある。一方が昼に起き、他方が夜に起き、いつも互いに妬み僻み合っていたそうだが、ついに片方が毒を飲ませ、共に死んでしまう。この鳥は、善と悪の心を持つ人間の矛盾と葛藤を象徴しているそうだ。鳩摩羅什は「共命之鳥」を使うことで、人間は誰でも「極楽」に行けるということを伝えたかったのだろう。さらに、彼は自分自身の書いたものに関して興味深いことを言っている。

 

私の教えは例えるなら臭い泥の中に咲く蓮の花のようなものだ。

そこからただ蓮の花だけを摘んで、臭い泥は取らないように。

鳩摩羅什

 

つまり、書いてあることをそのまま理解するのではなく、本質をしっかりと捉える必要があると言っているのだろう。人は必ず誤解するということを彼は良く分かっていたのだろう。そして、鳩摩羅什なりに誤解を招かないように忠告したと考えられる。

最後に彼の人生の集大成とも言える、彼独自の教えを紹介したいと思う。

 

私は晩年考え抜いた思想を経典の中に忍ばせた。

 

煩悩是道場。

煩悩の中にこそ悟りがある。悩めるからこそ救いがあるだ。

鳩摩羅什

 

釈迦は煩悩を鎮めることが悟りに繋がると説いた。しかし、鳩摩羅什はその煩悩を肯定したのだ。なぜだろうか。35歳で戒律を破り、破戒僧となった鳩摩羅什。その後に17年もの軟禁生活を強いられた。おそらく彼はそんな紆余曲折あった人生で気づいたのだろう。

 

「本当に救いを求めている人に煩悩を鎮める余裕など無い!」

 

釈迦が言ったことは正論なのかもしれない。しかし、その正論にはもはや意味がないことに気づいたのだ。これは苦難や苦悩とともに波乱万丈の人生を生き抜いた鳩摩羅什ならではの結論だと思う。悟りを突き詰めた「哲学者」である釈迦とはわけが違うのだ。そして彼は一人でも多くの人がこの教えにより救われることを祈ったのだ。彼の思想は今もなお、日本を含む東アジアで息づいている。

 

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