daikosh's blog

1日1アウトプット

「存在する」とは。

 

先週の日曜日に図書館で借りた本の内、『君たちはどう生きるか』を読み終えた。いつも通り内容をまとめたいのだが、時間がないので後日に回し、今日は次に読み始めた『ハイデガー哲学入門ー『存在と時間』を読むー』の紹介をしようと思う。導入部分の時点で呼んでいてニヤけてしまうほど大変面白かったのだ。

 

まず、西洋哲学の流れとして、「存在」に対する問いは長年されてきた。例えば、プラトンは完全なものの概念の集合であるイデア界なるものが存在し、我々はその写像を見ているというイデア論を説いた。数学者でもあるデカルトは「我思う故に我あり」という言葉からも分かるように、世の中に存在するものが本当にあるのかを疑い続けた結果、この疑っているという我(認識するもの)というものの存在は疑いの余地がないと主張した。すなわち認識するものとされるものと「存在」を二分したのである。

 

この二分法によって、「精神」である私たち人間が、物質界を客観的に観察し、そこに作用している自然法則を発見し、自らのために利用するという近代的な血の基本的な構図が成立した。(『ハイデガー哲学入門ー『存在と時間』を読むー』より)

 

なるほど、これだけ聞くとプラトンイデア論デカルトの言っていることも理解できるし、我々の考えのベースになっていてもおかしくなさそうだ。しかし、ここでハイデガーはさらに深堀りしたのである。

 

「今までの哲学者はイデア界が『ある』とか、我思う故に我『あり』とかいってるけど、そもそも『ある』ってどういうこと?」

 

と問うたのである。実に哲学らしい問いである。確かに、なにが存在しているか(精神や物質)であったり、存在しているか否か(正義、神)といった話は哲学でよく議論されている。しかし、大前提として正義が「ある」とか神が「いる」とかの「存在」自体が何かと言われるとどう説明していいのか検討もつかない。この本を読了した暁にその答えが少しでも理解できると思うと、ワクワクするのであった。