daikosh's blog

1日1アウトプット

有人潜水調査船・しんかい6500と必要性について。


先程、NHKのプロフェッショナルで「有人潜水調査船・しんかい6500」の特集をやっていた。最後の5分ほどを見たのだが、ある開発者(?)が興味深いことを言っていたので紹介したい。具体的な文言は忘れてしまったのだが、おおよそ次のようなことを言っていたはずだ。

 

「これからは有人調査船より無人調査船が主流になってくるだろう。それは無人の方が有人のものに比べると研究の面で優位性があるからである。つまり有人調査船は必要がないということになる。しかし、我々は必要性があるものだけをつくっているだけではダメなのである。必要でないものの必要性を見つけてもらうことが重要である。そこに魅力を見つけてほしい。」

 

つまり、技術の進歩の恩恵により、研究のためには無人調査船で事が足りるため、有人調査船は今後必要はないが、そこに必要性を見つけてもらいたいということを言っているのだろう。この意見には私も同意できる。その理由は大きく2つある。

 

1つ目は、必要性のないことをしてこそ人間だと思うからだ。そもそも人間に必要なこととはなんだろう。極端な話をすると、食べること、寝ること、そして子孫を繁栄させることであろう。これら3大欲求は人間にとって必要不可欠であり、それらのために行動するのは当然である。しかし、人間の価値はそれらの上にあるはずだ。もちろん、有人調査船の必要性というのは、科学や研究においての必要性なので、人間にとっての必要性の話とは少し話が違う。しかし、似たような議論はできるはずだ。有人調査船は確かに研究の面では必要ないのかもしれない。しかし、有人調査船は人のロマンや感動を運ぶのだ。必要性に駆られているだけでは、何も面白くない。人間の価値に必要性は必要ないのだ。

 

2つ目は、そもそも人間に必要性があるかどうかの判断はできないと思うからだ。これは基礎研究の有用性と似た話である。基礎研究とは、基本的に0から1を作る作業であるが、その1は役に立つかどうかは分からなくてもいいのだ。つまり、基礎研究のほとんどは、意味のないことが多い。意味がないという言い方は少し乱暴かもしれないが、1が作れたからといってすぐに役に立たないことがほとんどだ。しかし、何十年後、もしくは何百年後にその1が役に立つ可能性は多いにあるのだ。こういった広い視野をもって、基礎研究は行われている。このように、採算が取れにくいその性質から、基礎研究の予算が削られることがよくある。しかし、1が当たったときの威力は凄まじいことが多いのも事実である。しかも1を生み出すための基礎研究がなくなると、技術の根本的な進歩がなくなってしまうことになる。従って、基礎研究にお金をつぎ込むことは、物事を長期スパンで考えると極めて重要なことが分かるだろう。少し話がずれてしまったが、有人調査船も同じで、人類にとってこれからも必要かどうかは判断できない。そもそも人間に未来を予測することは不可能であるため、これらは当然のことだ。未来で何が必要とされるのかなど分かるはずがないのである。言い方を変えると、いま必要性がないと思っているものも、必要とされる日が来る可能性があるということだ。これは有人調査船についても同様のことが言えるはずだ。

 

最後に、以前に読んだ『仕事は楽しいかね?』の言葉で締めたいと思う。

 

必要は発明の母かもしれない。だけど、偶然は発明の父なんだ。

(『仕事は楽しいかね?』より)

 

子は母だけでは生まれない。父と母が揃って初めて子は生まれるのだ。