節分。常識に対して疑問を抱く。
「鬼は外!福は内!」
今日は節分である。上の掛け声とともに豆まきを行う。私の家でも先程行った。豆まきで思い出すのが、昔「人志松本のゆるせない話」でバカリズムが節分の豆まきに関して言っていたことである。
豆まきをして鬼を家の外に追いやったところで、外にまだ鬼はいるため根本的な解決になっていない。
(バカリズム)
この着眼点はさすがバカリズムといったところである。確かに、鬼を外に追いやるだけではまた鬼たちはやってくるだろうし、何より家の外に出られなくなる。鬼は根絶する必要があるのだ。これは冗談にすぎないが、バカリズムのように古くからの慣習に関して疑問を抱くということは重要だ。
また「人志松本のゆるせない話」関連で私が好きなのが、サバンナの八木の主張である。その中でも、「干支」に対する不満が秀逸である。彼の主張はこうだ。
「ねー、うし、とら、うー、たつ、みー」までは特に問題ないのだが、「うま」からは、「うま、ひつじ、さる、とり、いぬ、いー」とガチで覚えていかないといけない。
(サバンナ 八木)
確かに、これは誰しも感じたことがあることだろうが、同時に誰も意識したことがないだろう。加えてこんな事も言っている。
辰の龍だけ、想像上の生き物であるので、現実に存在する生き物を入れてあげるべきだ。もしくは、想像上の生き物で揃えるべきであり、「かっぱ、つちのこ、ネッシー、ユニコーン(UFO?)、辰、地底人、鬼、イエティ、半魚人、人魚姫、火星人、サンタクロース」という十二支ではどうか。
(サバンナ 八木)
この番組では、八木がバカにされているが、彼の視点はあながち侮れないことであると思う。
上記2つの主張に共通している点は、常識を疑っているという点である。常識的なことを言っていても何も面白くない。彼らは常識を疑い、常識に対して不満をぶちまけているのだ。これらの発想は、単にお笑いになるというだけでなく、新たな発見やイノベーションを生む上でも重要であるはずだ。私も彼らのような着眼点を持ちたいものである。