daikosh's blog

1日1アウトプット

俺のダンディズム

 

ダンディという言葉は誰しも聞いたことがあるだろう。しかし、ダンディを説明しろと言われると、なかなか難しいのではないだろうか。ダンディはダンディズムの実践者のことを指す。ダンディズムは19世紀にチャラチャラしたフランス風男子服の反動でイギリスの青年の間で流行した美意識のことだそうだ。私がなぜこんな話をしているかというと、最近Amazon Prime Videoで「俺のダンディズム」というドラマを全話観たからだ。ストーリーの主人公は名脇役俳優の代名詞である滝藤賢一演じる41歳のサラリーマンの段田一郎。彼が、会社のマドンナ的存在である女性部下に気に入られるために、時計や万年筆などのダンディアイテムを購入していくというドラマである。内容の大半はそれぞれのアイテムの時代背景やブランドの紹介であるため、ストーリー性はあまりないが、大人の男性としての常識を知るという意味で大変勉強になった。そしてなにより滝藤の演技力だ。しがないサラリーマンである段田の心情をとてもユーモラスに、かつ身近に感じさせるように演じているのだ。これを観た同世代のサラリーマンの中にはきっと段田一郎に憧れて、同様のダンディアイテムを買い揃えた人も少なくないだろう。ぜひみなさんも観てほしいし、特に男性にとっては必見のドラマではないだろうか。さて、前置きが長くなってしまったが、今回お話したいのは男性にとってのダンディズムについてである。

 

まずは、作中で何度か登場する阿久悠の言葉を取り上げたいと思う。

 

ダンディズムとはやせ我慢である。(阿久悠

 

まず、ダンディになるためには、一定の努力、つまり我慢が必要なのは誰もが承知だと思う。そして、少し意外かもしれないが、ダンディアイテムは決して便利でもなく、効率が良いわけでもないのである。例えば、万年筆。もちろん書きやすいという利点はあるが、ボールペンのほうがインクの入れ替えも楽だし、同様のパフォーマンスを持ったものも存在するだろう。その他にも、おしゃれだが使い勝手が悪い鞄や財布、手帳なども紹介されている。阿久悠の言葉は、ダンディになるための面倒臭さと一定の努力を見事に表しており、まさにダンディズムの核心をついた言葉ではないだろうか。また、先日取り上げたミッツ・マングローブの言葉を思い出した方もおられるかもしれない。

 

結局、色気とは「時間と手間」をかけることで生まれるものですから。(ミッツ・マングローブ

 

同様のエッセンスは本ドラマの主題歌にも込められていることがその歌詞を見るとよくわかる。

 

背伸びしてでも無理をしろダンディ(MANNISH BOYS「Iam Dandy」より)

 

では一体どうしてやせ我慢してまで男はダンディになろうとするのか。女性を惹きつけるため?自分を強く見せるため?・・・きっとどれも正解なのだろう。

ドラマの主人公のように、基本的に男は弱い生き物である。これは生物学的にも説明することができ、女性より男性の方が弱いというのは自然なのだ。従って、男は強がるのだ。その強がり方には様々なタイプがあると思うが、その一つがダンディズムなのだと思う。ここで、女性の方々は、「男って実際は弱いのに強がってて可愛そうな生き物」と思わないでほしい。注目してほしいのは、ただ強がるだけではないということだ。

主人公の段田一郎はダンディアイテムを手に入れるにつれて、恐喝を受けている高校生を助けたり、ストーカー被害にあっている部下を守ったりするようになったのだ。そう、ダンディになろうと強がる(やせ我慢する)ことにより、現実に精神的に強くなっていくのだ。男という生き物は非常に単純である。単純であるからこそ、やせ我慢するだけで強くなれるのだ。ダンディズムとはまさに男という生き物の生き方を表しているのではないだろうか。

最後は、「俺のダンディズム」主人公である段田一郎の最後のセリフで終わりたいと思う。

 

ダンディになりたいと思うことが、僕にとってのダンディズムです。(俺のダンディズムより)