daikosh's blog

1日1アウトプット

もったいない。

 

今日、新しいアルバイトの面接に行ってきた。創業して数年ほどのITコンサルタント会社だ。留学するまでは、個別指導塾の講師をしていたのだが違うアルバイトをしてみたかったのだ。また、どうせなら勉強になりスキルがつきそうな仕事をしたかったので、今回応募してみた。

 

オフィスに入ると、部屋の片隅の小綺麗なスペースに案内された。小柄で、白髪混じりのおじさんが名刺を渡しながら挨拶をしてきた。名刺には代表取締役と書いてあった。銀縁の眼鏡をしており、いかにもプライドが高そうな容姿をしていた。実際に、話してみると、その高慢さは節々に感じられた。まるで「私は全ての事を分かっています。」というような態度であった。

面接は雑談をするかのように進んでいった。小学校時代をフランスで過ごしたこと、国の留学プログラムで昨年度インターンシップをしていたこと、プログラミングのスキルなどについて話した。就職先についても聞かれ、日系企業に就職することを話した。すると、ニヤニヤした顔つきでこう言われた。

 

「もったいない。」

 

え?

そして、代表取締役はこう続けた。

 

「僕だったら絶対海外で働くのに!」

 

「はぁ、そうですか。。。」と苦笑いするしかなかった。今から思うと、その理由を問いただすべきだったのかもしれない。しかし、思いがけないことを言われてショックだったのと、おそらく面接という場であったことも相重なって、反論はできなかった。なんというか、自分の決断を全否定された感覚を覚えた。就職先については、少なくとも3年以上は自分と向き合い、熟考してきたつもりだ。その中で、海外で働くことも当然視野に入れていた。しかし、最終的には日系の企業に就職するという決断をし、ありがたいことに内定を頂いたのだ。出会って5分もしないおじさんに何がわかるのだ。その後、面接は働ける日数や時間帯、会社の事業内容などを簡単に話し、難なく終わった。そして、もやもやした心持ちで帰りのバスを待ちながら、その出来事について考えを巡らせていた。

 

どうやらおじさんにとってのキーワードは「西海岸」と「将来性」だったようだ。執拗にその二語を繰り返し使っていた。「工学系の就職先で、将来性が高いのはどの業界?」とか「今の時代はやっぱり西海岸。西海岸で働くべきだよね。」とか。確かに、シリコンバレーの成長は目覚しく、将来性が高いのはあきらかだ。だから西海岸で働くべきなのかもしれない。「本当にそうなのか?」と私は言いたい。「おじさん、おじさん。それはあなたの基準でしょう。」と。反対に、将来性の高い西海岸に就職することがもったいなくないのか。それは、世の中のため?日本のため?自分のため?海外経験豊富で工学を専攻している学生は皆、海外で働くべきなのだろうか。そんなことないでしょう。本人は世界の情勢を把握し、日系企業で働くことをもったいないと判断しているのかもしれないが、そういったことを言っている時点で私には視野が狭いように映る。私が言う視野とは人生における視野のことである。将来性の高い仕事に就くことは、仕事に困らなくなり、高給取りになり、将来成功を収めやすく、国のため、また世のためになるのかもしれない。しかしそれを善いとするのは、あくまでも一価値観である。極端な話、世の中にはヒモになって一生遊んで暮らしたい人だっているわけだ。その人にとっては、仕事に就くこと自体がもったいないことなのかもしれない。人生における目的や生き甲斐は人それぞれである。人の決断を「もったいない。」という一語で片付けることは、その人の生き方を自分の型に当てはめて勝手に判断し、相手を侮辱する愚かな行為だと私は考える。少なくとも、そう思ったとしても本人に向かって言うべきではないと思う。

 

 

帰宅すると、ふと自分の部屋にあった本に目がいった。それは、次の日曜日に図書館に返却するつもりで机に置いていた『嫌われる勇気』だった。この本はアドラーの心理学を対話形式でわかりやすく解説した本だ。「トラウマなど存在しない。」や「人間の悩みは全て対人関係の悩みである。」など、常識とは反対のコペルニクス的転回が多くなされているため、目からウロコ的な内容が多い。非常に読みやすい本ではあったが、すんなりと内容が入ってくるわけではなく、本当に理解するのには時間がかかりそうだ。現に、この本の中では、真に理解するには今まで生きてきた人生の半分の期間がかかると書かれている。現在私は25歳なので12年の37歳には理解できるという計算だ・・・。さて、脱線してしまったが、私はこの本のページをペラペラとめくりながら、居心地の悪いいまの心理状態を解消してくれるような箇所を潜在的に探していたわけだ。今回は、この時に読み返した箇所を紹介したい。それは、課題の分離についてだ。簡単に説明すると「他人の人生ではなく、自分の人生を生きよ。」ということである。

 

自らの生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。

引用元:岸見一郎(2013)『嫌われる勇気』, p.147.

 

そう、私は自分を信じて、自分にとって最善だと信じて日系企業に就職するという決断をしたのだ。私の決断をおじさんが「もったいない」と評価するのはおじさんの勝手であって、自分の課題ではないのだ!

 

そう自分に言い聞かせるのであった。