daikosh's blog

1日1アウトプット

知らないということ。

 

今日テレビで通信販売の宣伝を見かけたのだが、この類のものを見るたびに思うことがある。それはどうしてこんなものを買う人がいるのかということである。もちろん電話一本で家に品物が届き、お得な買い物ができるということはよく分かる。しかし少し考えればお得でもなんでもなく、理にかなっていないものが大半であるはずだ。

例えば、低反発マットレス。まず体にフィットする低反発マットレスの上で寝ることが健康に良くないことは科学的に明らかになっている。それは体がマットレスの中に沈むことで寝返りが打ちにくくなり、血流が悪くなることで腰痛などを発症・悪化させるからである。(もちろん低反発マットレスが悪いとは一概には言えない。)確かに寝転がった瞬間は心地良いのかもしれないし、それらしい科学的な解説(圧力を計算して低反発であることを示すなど)や使用者のインタビューなどによる先入観でプラシーボ効果があったりするだろう。しかし、いずれその効力は切れるはずで、数ヶ月すれば腰痛が戻ってくるはずである。それにも関わらず売れ行きは好調なようであり、最新モデルのものが毎月宣伝されているように感じる。

これは一つの例であり、他にも健康系サプリや青汁など、眉唾物多く売られている印象だ。もちろんそれぞれに利点が全くないと言っているわけではない。しかし、それらを購入するよりも理にかなっているマシな方法があるはずだといつも思ってしまうのだ。いずれにせよ、こういったビジネスモデルは今の所成功していると言えるのだ。ここで思ったわけである。このビジネスモデルは上述のような知識を持っていない人(もしくは能力のない人)がいるからこそ成立しているのではないだろうかと。また同様の現象はこの例に限ったことではなく、ほとんどの商売はそういった側面があるのではないかと思ったわけである。つまり、人間の無知が商売には多かれ少なかれ必要だと言えるのかもしれない。

 

 

無知は怖いことである。理にかなっていない無駄な行動をしてしまったり、騙されてしまったりするからだ。従ってソクラテス無知の知ではないが、まずは己が無知であることを知ることが事前に出来うる対策の一つなのかもしれない。しかし、どんな人間であっても森羅万象全てを知ることなどできないことも事実だ。だからこそ、時に人間は馬鹿なことをしたり無駄な行動をしたりするのだ。知らないということ。この不完全性こそが人間の生活を彩っているのだ。