daikosh's blog

1日1アウトプット

『残飯』のススメ。

 

来ましたホリエモン。今回は愚痴を言う人に対して、血も涙もなく超合理的にバッサリと切っている記事を見つけた。

 

toyokeizai.net

 

実際の物理的な絶対時間ではなく、体感時間を一つの基準にすればよいのではないかという提案をしている。どういうことか。例えば、自分が苦手で嫌いな人と飲みに行くのと、気に入っている人と行くのとでは、同じ1時間でも後者のほうが短く感じるはずである。そして、前者で溜まった愚痴を違う場で吐くのである。ホリエモンはそんなことをせずに前者をばっさりと切り捨てて、その時間を自分のために使おうと言っているのだ。

 

体感時間の長いものを人生から排除し、あっという間に過ぎてしまうことばかりで、あなたのスケジュールを埋めよう。

もう1つは、ストレスを与えてくる人間を徹底的に避けることだ。不快な人間がいたら、その人とは関係を絶ったほうがいい。その場で怒鳴りつけてもいいが、わざわざ軌道修正してやる義理はないから、あとはスッパリ“切る”のがいちばんだ。(ホリエモン

 

これが実際にできるのかどうかは置いておいて、実に合理的な考えである。また、この考えを次のたとえを用いて分かりやすく説明している。

 

あなたは川に浮かびながら、誰かが食い荒らした「残飯」を手にして、「こんなマズい食べ物はない! なんだこれは!」と文句を言っている。だったら、そんなものは捨ててしまえばいいのに、それでもその「残飯」を後生大事に持っているのだ。

この『残飯』ってすごくマズいんですよ。ひどくないですか?」などと言ってくる。

力を抜いて水面に浮かんでいる僕には、そういう景色が見えているのだ。

「ふざけるな!! さっさと捨てろ!」(ホリエモン

 

実に分かりやすい例えではないだろうか。だが、ここで私は反対の意見を唱えたい。

 

たまには『残飯』を食べた方が良くない?

 

もちろん『残飯』を常に食べろと言っているわけではない。しかし、たまには『残飯』を食べるべきだと思うのだ。というのは、人間はそんな簡単に目の前にあるものが『残飯』かどうかなんて分からないからである。もしかすると、『残飯』だと思っていたものが、全然知らない高級食材でとても美味しいものかもしれない。これは食べてみなければわからないのである。もちろん予想することも大事ではある。また仮にそれが『残飯』だったとしても、それを食べることにより後の笑い話にできるかもしれない。他にも、『残飯』を食べることで免疫力を高めることができると思う。話が少し逸れるが、幼少期には砂場で遊んだり、泥を舐めたり、ある程度汚い環境で育ったほうが、後々強くなるということはよく言われている。反対に常に清潔すぎる環境で育ってしまうと、アレルギーが多くなったり、どうしても体が弱くなる傾向になるそうだ。それは汚い環境でしか免疫力をつけることができないからである。清潔が普通だと、免疫を付ける必要がなくなってしまうのだ。話をもとに戻そう。『残飯』もたまには食べないと、免疫が無いままになったしまい、どうしても『残飯』を食べなければいけなくなったときや、つい間違って『残飯』を食べってしまった時に痛手を負うことになる。つまり、『残飯』をたまに食べることはマイナスではなくむしろプラスだと考えることができるのである。何度も言うが、『残飯』を自ら食べにいけと言っているわけではない。たまには食べてみると良いのかもしれないと思うのだ。

 

この話にピッタリの言葉を思いついたので、それを紹介して締めたいと思う。その言葉は私の大好きな映画『フォレスト・ガンプ』で登場する。

 

Life is like a box of chocolates. You never know what you're gonna get.(Forrest Gamp)

 

日本語に訳すと「人生はチョコレートの箱のようなもの。 食べてみるまで中身はわからないんだよ。」といった具合になるだろう。ここでいうチョコレートの箱とは、アソートセットのようなものを想像してもらえるとよい。見た目では分からないが、様々な味や香りをしたチョコレートが入っているのだ。つまり、何事も試してみないことには始まらないし分からないということを言っているのだ。従って、『残飯』も食べてみないとどんな味がするのか分からないのである。たまには『残飯』を毛嫌いせずに食べてみてはいかがだろうか。