daikosh's blog

1日1アウトプット

蛙、氷河期を知らず。

 

井の中の蛙大海を知らず」についての記事をこの前書いたが、この言葉に関して今日ふと思いついたことがあったので書いてみる。基本的にこの言葉は視野が狭い人に対して使われる。留学して海外の国を見てきなさいというような感じだ。この視野の広さというのは、空間での話を指しているはずだ。しかし、視野の広さというのは空間の広がりだけでなく、時間の広がりとも解釈できるのではないだろうか。どういうことかと言うと、未来はもちろん見れないので、過去をどれだけ知っているか否かということだ。つまり、少々強引ではあるが「蛙、氷河期を知らず」という言葉も成立するのではないかと思ったのだ。(もっといいアイデアがあれば是非教えていただきたい。)そもそも蛙は自分が誕生する前の氷河期の時代を知らないだろうということを言いたいのである。そういう意味での視野の広さも重要であると思うのだ。つまるところ、歴史を学ぶ有用性についてのことわざを思いついたというだけである。

 

ついでに歴史を学ぶ重要性についての話を一つだけ紹介しておく。実業家の出口治明さんは、物事は「タテ・ヨコ」の視点で見れば大抵のことは理解できると言っている。ここで言うヨコは、グローバルな広がり、すなわち空間軸のことである。海外の国同士を比較するということだ。そして、タテがまさに時間軸のことであり、歴史である。人類は日々進歩しているとよく言うが、実際に進歩しているのは人類の作ったテクノロジーだけである。現在の人の脳の大きさは、人類がホモサピエンスとして誕生した数万年前と変わっていない。同じことを考え、同じことに感動し、同じことに悩むのである。歴史は繰り返すという言葉があるがまさにそうで、形は違えど人類の根本的な考え方や失敗というのは同じものなのである。従って、歴史を振り返ることで、過去の人間が得た知見を手っ取り早く得られるのである。

 

しかし、もちろん歴史を学ぶだけ満足していてはいけない。池上彰さんが現代史の講義で話していたが、歴史を見るというのはバックミラーを見ながら車を運転するのと同じことだそうだ。車を運転する際に最も見なければいけないのは前方、すなわち未来である。しかし、前だけを見ているだけでは少々危なっかしい運転になってしまう。サイドミラーやバックミラーも適宜見る必要がある。歴史もそういったものだと言っているのだ。