daikosh's blog

1日1アウトプット

シンプルな人生。

 

最近周りが社会人になってきたからかはわからないが、よく人間関係の悩みを相談される。人間関係の悩みから私がいつも連想するのは、アドラー心理学である。アドラーフロイトユングに並ぶ心理学の三大巨頭の1人であるオーストリア出身の心理学者である。詳しい内容については、昔にアドラー心理学について書かれてある書籍『嫌われる勇気』についての記事を書いたので参照されたい。
 

 

さて、この記事では「目的論」と「課題の分離」に焦点を当てて話したが、今回の論点は以下の言葉である。

 

人生が困難なのではない、あなたが人生を困難にしているのだ。人生は極めてシンプルである。

(アルフレッド・アドラー

 

アドラー心理学は時たま「心の解剖」と言われるほどの劇薬である。自分の人生を生きるため、そして悩みを解決することが目的であるため、科学的な事実は二の次で、こう考えると良いといった人生哲学に近い内容だと思う。そのため、彼の主張は明晰で分かりやすいが、実践に移すのには困難を有する。

さて、実際に人間関係の悩みの相談を受けていて気付いたことがある。確かに、人生をシンプルに見ることはできるし、人間関係の悩みもシンプルに捉えることができるのだろう。しかし、人間の悩みはシンプルだとしても人間は複雑なのである。ましてやその複雑な人間が絡み合った人間関係の悩みとなるとおそらく根本的な解決などできないのではないだろうか。人間は「人生を困難にする生き物」なのだと思う。

しかし、これを決して悪いことと捉えるべきではないということを今回言いたいのである。アドラー心理学の話をしていると、必然的に人生はシンプルな方が良いということになる。はたして本当にそうなのだろうか。「シンプルな人生」と聞くと、何の悩みもなく、順風満帆な人生のように思えて聞こえは良さそうだ。だがはたしてそんな人生を生きていて面白いだろうか。初めから最後までシンプルなストーリーで、容易にクリアできてしまうRPGゲームははたしてプレイしていてて楽しいだろうか。そんなことはないはずだ。RPGゲームも人生も困難で複雑怪奇だからこそ面白いのではないだろうか。きっと人間の苦悩や悩みは人生を豊かにする要素なのだろう。そして、このようにしてネガティブな感情を捉えると、少しは楽観的に見ることができて気が楽になるのではないだろうか。人間万事塞翁が馬である。

 

テイク&ギブ。

 

「ギブ&テイク」という言葉がある。これは、何かを与えると返ってくるという意味であり、「ギブ&テイク」の関係というと持ちつ持たれつのお互いバランスが取れた関係性を指す。また下記の記事のように、人生やビジネスシーンでは「ギブ&ギブ&ギブ」が重要であることがよく言われたりする。 

serendipity-japan.com

 

本当は、ギブアンドギブアンド・・・・・・ギブアンドテイクなんです。

相手に一つ与えたら、一つ見返りを貰うようなものではなくて、本当の意味としては、与え続けていたら、本当に必要なタイミングで、助けを差し伸べてくれるような大事なギフトを頂けるという事なんです。

https://serendipity-japan.com/giveandtake-292.htmlより)

 

しかし、私は「テイク&ギブ」という考え方で生きるべきなのではないだろうかと思う。これは、何かもらったら何かを与えるべきだという自己中心的な意味ではない。私が言いたいのは、我々は既にテイクしているのではないかということである。どういうことか。例えば、この記事を読んでいる多くの人は日本で育った日本人であると思うのだが、日本という恵まれた国に生まれている時点でテイクしていると考えるということだ。もっと極端なことを言うと、我々は命をテイクしているのである。つまり、生きている時点でテイクしているため、必然的にギブしなければいけないのではないだろうかと思うわけである。少し大げさな話をしてしまったが、現に私はその原動力を持って就職先を選んだ。私は大きなテイクをしていること自覚している。つまり、自分の育ってきた境遇が非常に恵まれていると感じているのだ。従って、一人間として、一日本人として、自分が最大限ギブできる企業を選んだつもりである。

おそらく、テイクばかり考えている人は、自分が既にテイクしているという事実に気づいていないのだろう。テイクしていることを知らなければ、ギブしようという気持ちが起こらず、テイクばかりになってしまう。

 

生きてるだけで丸儲け。儲けというものは持っているだけでは何の価値もない。その儲けを還元する必要があるはずだ。それが社会貢献というものなのではないだろうか。

 

 

 

 

 

東京03。

 

最近、東京03というお笑いトリオのコントにハマっている。構成メンバーは飯塚、豊本、角田の3人。主に角田がボケ担当で、飯塚がツッコミ担当である。豊本は作品により様々で、中間的な役割を担っている。非常に人間味あふれる作品が多く、かっこつけたい、得をしたい、長いものには巻かれるといった、誰もが持っている人のエゴのようないやらしい部分を正々堂々と誇張して表現することで笑いを取っている。彼等の演技力は申し分なく、作品の中に入っていきやすい。またたまに角田がアドリブを入れるのだが、その時に飯塚や豊本が笑いをこぼしてしまっているのもライブ感があって面白い。お笑いコント見ているというよりかは、もはや芝居を見ているような感覚になる。

彼等の作品は公式Youtubeチャンネルに何作か上がっているので是非見ていただきたい。ここでは、私の一押しの作品を一つ貼っておく。私は近いうちにライブに行こうと思っている。

 

www.youtube.com

PayPayが本気を出してきた。

 

japanese.engadget.com

 

1週間ほど前にマイナポイントについて書いたが、それに対抗してかどうかはわからないが、PayPayが本気を出してきた。まさにキャッシュレス決済の覇権がかかっている戦国時代を思わせる。

この記事によると、対象の飲食店でPayPayを用いて決済するとなんと40 %還元されるそうなのである。対象店舗は以下である。

 

吉野家すき家松屋・松のや・松乃家・チキン亭・マイカリー食堂・丶松(てんまつ)・松そば・ステーキ屋松・サンマルクカフェ・ Coke ON自販機(日本コカ・コーラ)・日高屋・中華一番・来来軒・らーめん日高・ちゃんぽん 菜ノ宮。

速報:PayPayが40%還元、全国の飲食チェーンで2月から - Engadget 日本版より)

 

牛丼屋チェーンが入っているのは個人的に大きい。400円ほどの牛丼が240円ほどで食べられるということになる。これを活用しない手はない。我々消費者は、激しい争いの中で生じる恩恵を受けるまでである。

 

 

 

daikosh.hatenablog.com

 

芸術の定義。〜アートの本質〜

 

前の記事の続きである。

 

ディベートの結果、「芸術とは感情を動かすもの」ということになったという話をした。これは相対的な定義であり、同じものでも人に依っては芸術作品にもなるし、ただのガラクタにもなるということである。

 

ここで、現代アートの先駆者であるフランスの芸術家マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)に関する逸話を紹介したいと思う。彼は、男性用小便器を逆さまに置いて、『泉』という題名をつけたり、レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』に髭をつけた作品で有名である。

彼は、彼自身の個展で少し溶けたバターを床において、芸術作品の一つとして展示していたそうだ。しかし、その床に落ちているバターを見た清掃員が、それをゴミであると勘違いして掃除したというのである。

これが本当の話かどうかは置いておいて、この話から芸術作品であるかどうかは鑑賞する人に依存するということがよく分かる。

例えば、落書きや、白いキャンバスに点を打っただけのものを芸術作品といえるかどうかといった議論がある。上述の定義に従うと、その答えは「Ça dépend(人に依る)」である。

 

他にも「芸術とは心に傷をつけるものである」という定義を社会学者の宮台真司はよく言っている。「アートとは、元に戻れなくすること」「価値観が変わるほどの、元に戻れなくなるほどの、深い傷をつけること」。この定義も個人的には納得がいく。しかし、定義というよりかは、これはどちらかというと芸術の性質であると思っている。詳しくは以下のサイトを参照されたい。

www.buchinuku.work

 

このように芸術には様々な定義があり同時に提案もされているのだろうが、私がミシュラン提訴事件のニュースを見ながら思いついた定義がある。それが「芸術とは客観的に格付けできないもの」である。

まず、前回の記事で取り上げた10種類の芸術はこの定義は包括している。建築、彫刻、絵、音楽、文学、舞台芸術、映画、メディア芸術、漫画、デジタルアート。これらは全て客観的に格付けすることができないはずである。その他にも、料理やiPhoneなどの電子機器や電化製品ですら芸術作品と言って良いことになる。

 

そもそもアート(art)とはどういう意味なのだろうか。実は昔、リベラルアーツについての記事で、アーツ(arts)について少し触れている。

まず、欧米圏では学問をサイエンス(Science)とアーツ(Arts)の2種類に分けている。サイエンスは神が作ったもの(自然科学、社会科学など)についての学問で、アーツは人間が作ったもの(文学、歴史、哲学など)についての学問である。

リベラルアーツについて。 - daikosh's blogより)

 

 

つまり、人間が作ったもの全てを芸術作品と言って良いのではないのだろうか。確かに、(神が作った)山や川を見て芸術作品という人はいないだろう。しかし、そこに少しでもヒトの手が加わると芸術作品となる。例えば、富士山を芸術作品ということはできないが、五山の送り火は芸術作品と言ってよさそうである。

 

このように、アートの語源に立ち返ると芸術の本質のようなものが見えてきた。もちろんこれは日常生活には実用的でない定義かもしれない。しかし、我々の活動の全てが芸術だと思えるだけでワクワクするのは私だけだろうか。

 

日々を生きていることが芸術であり、その人生は一つの芸術作品なのである。

芸術の定義。〜料理は芸術なのか〜

 

本日、3つ星レストランのシェフが不当に2つ星に降格させられたという理由でミシュランを提訴したというニュースがワイドショーで取り上げられてた。ミシュランの3つ星というのはかなり特別なもので、過去にも自殺者がいるほどである。

私はこの番組を見ながら、「そもそも料理を客観的に格付けするのには無理があるよなあ」と思ったわけである。ここで重要なのは「客観的に」という部分である。主観的になら、いくらでも評価することができ、順位もつけることができる。例えば、私にとってのNo.1つけ麺は「麺屋たけ井のつけ麺」である。この事実に対して誰も文句を言うことはできない。しかし、客観的にたけ井のつけ麺がNo.1であるということは言えないのである。

 

ここで私はふと芸術に関しても同様のことが言えるのではないかと思ったのである。この議論をする前に、料理は芸術に含まれないかという議論をする必要があるかもしれない。実はフランス留学中に行っていた語学学校で同様の議論はしたことがある。

 

当然だがフランス語の語学学校という性質上、様々な国籍を持った人々がいるため、このようなディベートではそれぞれの国柄や国民性が出るので非常に興味深く面白かったのを覚えている。自分の好きな言葉について話すときがあったのだが、私は「情緒」という言葉を挙げ、その理由として「論理的には説明できない日本人にしかない美的感覚であり、それを誇りに思うから」的な話をしていた。対して、あるロシア人のフランス語教師である40代ほどの女性が言った言葉が強烈に印象に残っているのだ。彼女は自分の好きな言葉として「論理」という言葉を挙げ、その理由として「この世の中、論理で説明できないものは無い」といったようなことを言ったのである。もちろんロシア人が皆が皆そういう価値観を持っているわけではないだろうが、私は「おおさすがロシア人、、、」と思ってしまったわけである。

 

話を戻そう。その語学学校のある授業で芸術の10分類というものが取り上げられた。その分類とはフランスの文化省が定めたもので、フランスでは一般的に用いられているそうだ。以下にその分類を示す。

 

en.wikipedia.org

1. le premier art: architecture
2. le deuxième art: sculpture
3. le troisième art: painting
4. le quatrième art: music
5. le cinquième art: literature, including poetry and prose
6. le sixième art: the performing arts, including dance and theatre
7. le septième art: film and cinema
8. le huitième art: "les arts médiatiques", including radio, television, and photography
9. le neuvième art: comics
10. le dixième art: video games, or digital art forms more generally

Classificatory disputes about art - Wikipediaより)

 

それぞれ順に訳すと、

 

1. 建築

2. 彫刻(彫像)

3. 絵

4. 音楽

5. 文学(詩や散文を含む)

6. 舞台芸術(ダンスや劇を含む)

7. 映画

8. メディア芸術(ラジオ、テレビ、写真を含む)

9. 漫画

10. ビデオゲームやより一般的にデジタルアート

 

となる。従って、この分類に従うと料理は芸術ではないということになる。もちろんこれは一つの分類の仕方であり、絶対的なものではない。

さて、その授業ではこの分類をベースに11つ目を提案するという取り組みを行ったのだが、「料理」が有力候補であったわけである。私もこれには賛成しており、料理は芸術の一種であると考えている。

こういった議論をしていると、そもそも「芸術の定義」は何であるかという話になるのが自然である。半時間ほどの議論の末、その時に出た結論としては「芸術とは感情を動かすもの」ということになった。つまり、あるものを鑑賞した時に「美しい」であろうと「気持ち悪い」などの負の感情であろうと、何かしら感じたのであればそれは芸術作品ということである。

 

 

(明日に続く。)

いちごの日。野菜と果物。

 

本日2020年1月15日は「いちごの日」だそうである。「いちご」なら1月5日でもX月15日でも、なんでもよさそうな気もするがそれは別の話として。ということで、なんとなくいちごにまつわる豆知識を調べてみた。

 

①いちごの消費量世界一の国

日本はなんといちごの消費量が世界一なのだそうだ。

 

②22日はショートケーキの日

カレンダー上で22日は15日の下にあることから。

 

③いちごは果物or野菜?

一般的に「果物」として扱われているイチゴですが、日本での農業上の分類は「野菜」となります。狭義の果物が樹木になるものを指すため、イチゴはスイカやメロンと同様に、果実的野菜として定義されています。

イチゴ | 日本産食材ピックアップ - 農林水産物・食品の輸出支援ポータル - ジェトロより)

 

果実的野菜ってなんなのだ。そもそも野菜と果物の定義の違いを見てみよう。

 

農林水産省」の「消費者相談」によると、はっきりとした定義はありませんが、生産分野においては一般的に下記のように分けられるようです。

野菜……田畑で作られるもので、副食物であり、加工を前提としない「草本類」のこと

果実……数年にわたって収穫可能な永年生作物などの「木本類」のこと

いちごやメロンは野菜なの? 果物コラムより)

 

はっきりした定義はないようだが、基本的に「野」になるものを野菜、「木」になるものを果物と認識しておけばよさそうだ。当然といえば当然であるが、あまり意識したことがなかったので良い機会となった。従って、この定義に従うといちごは野菜ということになるのだ。

以上、いちごの日でした。