daikosh's blog

1日1アウトプット

『正義の教室』を読んで。ー直観主義ー

 

今日は「宗教」の正義である直観主義について話したいと思う。おそらくこれが一番ピンと来にくかったのではないだろうか。一般的に宗教とはキリスト教や仏教などのことを指すが、ここで言う宗教とはさらに広義の意味である。この立場を簡単に説明すると、物質的な世界(宇宙)と理性的な世界(言葉)の外側に、正義というものの存在を信じているという立場のことである。信じるか信じないかという宗教的な話になってしまうのだ。「ダメなものはダメ」ということだ。そんなのありかよと思うかもしれないが、それが直観主義なのである。このことからも分かるように、この正義の最大の問題点は、説明ができないことである。この世界の外側にあるのだから、当然のことである。そもそも、正義とは無限に正しい存在であるのに対して、我々人間は有限な存在である。有限な存在が無限な存在を把握することなど不可能なのだ。

ここで、そもそもこの世界の外側にそんなものあるの?と疑問を持つのが自然である。西洋哲学は、まさにこの問いについて議論してきた学問だと言っても過言ではないだろう。従って、西洋の哲学者の立場は大きく二つに分かれる。絶対的な正義というものが存在すると主張しているのが絶対主義であり、そんなものは存在せず、全ては相対的に決まると主張する立場が相対主義である。この相反する立場は、次のように時代と共に名称を変えて戦いあってきたのである:原子論VSイデア論唯名論VS実在論、経験主義VS合理主義。しかし、この論争に終止符を打つかのように現れたのが、あのニーチェである。

 

「神は死んだ。」(ニーチェ

 

ここでいう神とは、キリスト教イスラム教などの神だけを指すのではなく、真理、正義、善など超越的なもののことも含んでおり、そんなものは勝手な思い込みだと言ったのである。これ以降、道具主義構造主義ポスト構造主義などが現れるが、全て相対主義の立場である。従って、現在暫定では構造主義が勝利しているのである。

さて、話が少し逸れてしまったが、とにかく直観主義(絶対主義)は説明できないのである。

 

これまでに3種類の正義を見てきたが、どうだっだろうか。結局何が言いたいのと思われる人もいるかもしれない。そこで、この物語の主人公が出した最後の結論を紹介して、正義の話を終わりたいと思う。

 

正義は、答えを出したらいけないんだ!(『正義の教室』より)

 

仮に正義に答えを出してしまうと、それに従って人間は生きていくことになる。そんな機械的な人間の世界は果たして正義なのだろうか。いや、違う。その都度考え、議論し、自分なりの答えを見つけ出すことこそが人間のあるべき姿勢であるのではないだろうか。この本は我々にそう訴えているように感じた。