daikosh's blog

1日1アウトプット

『壁』を読んで。

 

以前から言っているように、内定先企業の課題の1つに読書感想文があり、今日が提出締切日であった。本の条件は芥川賞または直木賞を受賞した作品。私は安部公房の『壁』を選んだわけだが、このあたりの話はすでに過去の記事に書いているので参照されたい。

 

 

 

 

それでは、さっそくだが感想文を載せておく。

 

 

無表情はやはり一つの表情で、〈中略〉微笑こそ〈中略〉完全な無表情であったのだ。微笑こそ、完全に非感情的なものを意味する。人は微笑を通してその向うにある表情を読むことは出来ない。〈中略〉微笑はどんな視線に対しても鉄の防壁になるのだ。

安部公房著『壁』より)

 

これは『壁』に登場する「狸」の言葉である。この作品は、自分の名前を忘れてしまった男が自身の名刺やネクタイ、帽子などの物質に現実世界での居場所を奪われそうになるという話や、狸に自分の影を獲られる話などを含んだ6編から成っている。その全てがシュルレアリスムというジャンルの作品で、現実を超越したような世界観、すなわち夢の中のような突拍子もない世界に読者を誘う。従って、まるで雲のような捉えることのできないものを掴もうとしているような感覚で終始読んでいた。
 さて、上述の一節は私に小泉八雲著『日本の面影』を想起させた。この作品は19世紀にイギリス人のラフカディオ・ハーン小泉八雲)が来日した際に書いた紀行文であり、日本人の生活を細やかに描写しながら、その文化や国民性についての分析が綴られている。その中に当時外国人から気持ち悪いと思われていた日本人の不可解な微笑みについて書かれている。日本人の微笑には感情を堪え、自己を抑制し、己に打ち勝ったものにこそ幸せは訪れるという日本人の道徳観が象徴されていると彼は言う。まさに今回取り上げた一節と重なるのではないか。微笑みは無表情より非感情的なものであり、日本人は自ずと鉄の防壁の張り方を習得していたのだ。
 このように、シュルレアリスムは夢のような世界観を利用することで、現実世界では捉えにくい物事の本質を直接的に表現できるのではないだろうか。紙に描かれた設計図よりも、立体的に見えたもの方が直感的に捉えやすいという感覚と同じで、現実という次元を超えることで全く異なる角度から世界が見られるのだ。シュルレアリスムの魅力はその独特な世界観だけでなく、現実世界の本質を捉えるためのスコープのような役割を果たしていることなのかもしれない。

 

 

以上が今回書いた感想文である。まず言いたいのが、

 

「800字程度って短すぎません!?」

 

今回の課題の文字数制限が800字程度だったのだ。原稿用紙2枚分。せめて4枚分は欲しかった。。。要約力も問われているのだろうが、一冊の感想文を800字に収めるのは非常に難しかった。従って満足の行く議論はできず、いささか強引な構成となってしまった。ということで後日「『壁』を読んで。」のフルバージョンの記事をまた改めて書きたいと思う。