daikosh's blog

1日1アウトプット

公聴会を控えて。

 

ついに明日、修士論文の内容を発表する公聴会が行われる。私は過年度生ということもあってかトップバッターで、朝9時からスタートする。発表時間は15分で質疑応答時間が10分の計25分を耐えることができればいいのだ。公聴会といっても、会場はいつも研究室の進捗報告をしている部屋なので、そこまで緊張感はない。さらに、主査と副査の二人が全員自分の研究室の教授陣であるため、鴨である。問題は誰が聴きに来るかである。といっても、朝一番からはそんなに来ないと予想する。明日になってのお楽しみだ。

いずれにせよ、明日で大学院生活の大部分が終わる。公聴会の後にその時に指摘された点を修正した修士論文の提出をしなければいけないが、何の造作もない。こんなイージーに終わってもいいのかという思いが少し脳裏をよぎっているが、まあそんなものなのだろう。やれることをやるまでである。

 

以上、報告でした。

アウシュヴィッツ開放から75年。

 

2020年1月27日。アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所が開放されてからちょうど75年になるそうだ。

www3.nhk.or.jp

 

75年というとちょうど三四半世紀だ。遠いようで案外近い。少なくとも私の祖父母はすでに生まれている時代のことである。決して歴史の1ページとして捉えるのではなく、実際に数十年前にあった現実だということを知っておくことが重要なのだろう。従ってこのように節目で追悼式をすることで全世界の人々に思い出させるということには意義があると思う。

 

アウシュヴィッツは一昨年の12月に実際に足を運んだことがある。天気が悪かったこともあってか、非常に重々しい空気感が漂っていたことを覚えている。霊的なものを私は信じていない質なので、特に恐怖感のようなものは無かったのだが、おそらく足を踏み入れただけでしんどくなる人もいるだろう。残念ながら、リサーチ不足+時間不足で2つあるうちの1つしか回れなかったので、またの機会に再度訪れたいと思っている。

 

ところで、アウシュヴィッツと聞くと、以前にこんな記事を書いたことを思い出した。

daikosh.hatenablog.com

 

第二次世界大戦に勝利した連合軍がドイツ人に対してアウシュヴィッツ見学会なるものを企画し、ユダヤ人に対してナチスが行っていたことを目の当たりにさせたという事実から、ドイツ人の国民性についてや、日本人の教育に関しての考察を連ねたものである。個人的によくまとまった記事だと思うので、読んでいただけると幸いである。

サラダ味。

 

サラダ味のおかきを食べながらふと疑問を抱いた。

 

「サラダ味ってそもそも何味?」

 

「サラダ味」という言葉はおかきだけでなく、プリッツじゃがりこなどでも用いられている。我々はもはや「サラダ味」をプレーンのような感覚で捉えているが、そもそもサラダに味などないはずである。味があるのはその上にかけるドレッシングであったり塩やヴィネガーだ。ではなぜサラダ味という言葉が生まれたのだろうか。私は昔のお菓子メーカーが、実際には塩味のところをサラダ味という少し洒落た命名をした人がいるという予想を立てた。

ぐぐってみると、以下のような答えにたどり着いた。

 

 「サラダ」は「サラダ油」のことです。「サラダ油」がまだ高価だった1960年代、サラダ油をからめて塩をまぶしたせんべいが作られました。

 その頃の時代の背景として、純日本風の「塩味」とするよりは洋風の「サラダ味」とした方がおしゃれではないかということで名付けられました。

 それまでのしょうゆ味のせんべいに比べて、斬新で高級感のあるイメージで人気を呼び、以後、米菓の定番の味として親しまれています。

サラダ味ってどんな味? 「サラダ油かけて塩味つけたもの」だった!より)

 

なるほど。半分正解ということになるだろうか。サラダ油を使っているという発送はなかった。つまり、サラダ味とは「サラダ油と塩味」というのが正確な表現になるなのだろう。私は物心がついた時から「サラダ味」が存在していたため何の違和感もないが、「サラダ味」が初めて登場したときはどのような印象を消費者に与えたのだろうか。例えば、今の時代に「キュウリ味」のお菓子が出たらどうだろうか。それは違うか。。。笑 いいアイデアが浮かばなかった。

 

我々の身の回りにはこういったごく当たり前に使っているがよくよく考えてみるとおかしな言葉が山程存在するが、それらには必ず語源、理由が存在しているはずだ。それらを知ることもなかなかおもしろいものだなあと思ったのであった。

 

オリラジあっちゃん。フェイク。

 

このような記事が目に止まった。というのも、オリラジのあっちゃんのYoutube大学はよく見ており、好きなチャンネルだからである。

 

president.jp

 

内容は以前に投稿されていたニュース記事に対する反響に対する意見であった。その以前の記事が↓である。

 

news.yahoo.co.jp

 

この記事の反響の論点がズレていると主張しながら、今回の記事では以下のようなことを言っていた。

 

中田はNHKフェイクニュース問題番組で司会を務めた他、フェイクを防ぐための提言として「責任をもって発信することが大事」と述べている。その中田が、無責任に発信するのはいかがなものか。

フェイクを流し続けるオリラジ中田とNHKの罪 「責任をもって発信」は何だったのか | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)より)

 

論点をまとめると、中田Youtube大学の授業では間違った解釈がいくつか見つかっており、フェイク情報を発信しているのにも関わらず、NHKフェイクニュースに警鐘を鳴らす番組に中田自身が出演しているという事実である。この矛盾をどう説明するのかといった話である。

 

確かに、この筆者が言っていることは間違っていない。彼の行動は矛盾しているのかもしれない。しかし、矛盾していようがいまいが私には関係ないし、彼の動画は見続けるだろう。間違った情報が含まれていたとしても、取り上げられている事柄に興味を持てるようになるし、全体を大まかに理解することで勉強になることは間違いないからである。そもそも情報というものはそういうものではないだろうか。教科書に書いてあることも、数年後には間違った事実ということが多々ある。しかし、その情報は逐次アップデートしていけばよいのである。まあ確かに信頼性が低すぎる場合は問題だが、中田のYoutube大学は、高い部類に入るはずである。インターネットで無料で手に入る情報の信用性などほとんどない。それは自明であり、このことを理解していない人が視聴者にいるのであれば、それはその視聴者の問題と言っていいと思う。

以前にオリラジのあっちゃんと同様に、メンタリストのDaiGoも騒動を起こしていた。その時に、メディアリテラシーについての記事を少し書いたが、まさに今回のニュースも同様の話だろう。

 

daikosh.hatenablog.com

 

特にYoutubeニコニコ動画などの動画配信サイトはエンターテインメント性が高く、楽して情報を得られてしまう。ここ数年で情報の量は圧倒的に増加したが、情報の質はどうだろうか。誰もが情報を発信できるようになり、フェイクニュースなども後をたたない。従って、より一層情報の質に気を配る必要があるのではないだろうか。

メディアリテラシーについて。 - daikosh's blogより)

 

繰り返しになるが、インターネットの情報の信頼性の低さを了解しておくことが重要である。従って、情報発信者に責任を押し付けすぎるのもよくないと思う。YoutubeTwitterなどのインターネットのメリットは情報の質ではなく量であり、誰でも気軽に情報を発信できるということであるからだ。ただし、もちろん意図的なフェイクニュースは排除されるべきだし、発信者が責任を持つことは当然のことである。これは、特段インターネットでの話だけでなく、書籍やテレビなどでも同様のことだろう。

今回の記事のように、オリラジのあっちゃんやDaiGoなど影響力が大きな人たちに対しては、どうしてもこのように指摘するしかないし、そうするべきなのかもれない。結局は程度の問題に落ち着くのだろうか。いずれにせよ、メディアリテラシーについて粗めて考える良い機会となった。

結婚記念日。硬度。

 

金婚式や銀婚式という言葉がある。結婚して25年の節目を祝うのが銀婚式で、50年目が金婚式である。これらはよく知られていると思うのだが、紙婚式という言葉をご存知だろうか。これは結婚一年の節目のことを指す言葉だそうだ。同様に、結婚二年目、三年目と、かなり細かく決められているようだ。下のサイトにそれらがまとめてあった。

 

shouzougakoubou.com

 

1年 紙婚式
2年 藁(わら)婚式
3年 革婚式
4年 花婚式
5年 木婚式
6年 鉄婚式
7年 銅婚式
8年 ゴム婚式
9年 陶器婚式
10年 錫(すず)婚式、アルミ婚式
11年 鋼鉄婚式
12年 絹婚式、亜麻(あま)婚式
13年 レース婚式
14年 象牙婚式
15年 水晶婚式
20年 磁器婚式
25年 銀婚式
30年 真珠婚式
35年 珊瑚婚式
40年 ルビー婚式
45年 サファイア婚式
50年 金婚式
55年 エメラルド婚式
60年 ダイヤモンド婚式

結婚記念日早見表|銀婚式・金婚式より)

 

このように「”素材”+”婚式”」という名称になっている。なぜこの話をしているかというと、この表と一緒に次のようなことが書かれてあったからだ。

 

 夫婦の絆の強さを表すように、年月が経過する毎に柔らかいものから硬いものに名前が変わっていきます。

結婚記念日早見表|銀婚式・金婚式より)

 

なるほど。「柔らかいものから硬いものに」素材が変わっていっているのだ。。。

 

 

いやちょっと待てよ。金は銀より柔らかかったはずである。確かにダイヤモンドは硬いが、真珠や珊瑚はそれほどにも硬いだろうか。私はこれらの疑問を抱いてしまったのだ。

ということで、この疑問に答えるべく、それぞれの素材の硬度を調べてみようと思ったわけである。

 

【方法】

硬度の定量的な指標は、工学の世界で一般的に用いられているビッカース硬さを用いた。なお、ダイヤモンドやルビーなどの宝石類にはモース硬度が用いられているが、以下のサイトを参考にしてビッカース硬さに換算した。

宝石の硬度 モース硬度 ビッカース硬度 ヌープ硬度

紙や絹など、そもそも硬度がないものは除外した。また、ビッカース硬さに幅があった場合、最大値と最小値の平均値を採用した。鋼鉄は一般的に用いられているSUS400を採用した。

 

【結果・考察】

素材 結婚年数 [年] 硬度 [HV]
6 110
7 369
錫・アルミ 10 30
鋼鉄 11 130
象牙 14 100
水晶 15 1103
磁器 20 2350
25 25
真珠 30 200
珊瑚 35 140
ルビー 40 2100
サファイア 45 2300
50 22
エメラルド 55 1425
ダイヤモンド 60 7000

 

(参考URL:

金属の硬度の一覧表と比較

天然石の豆知識

SS400の規格|SS400(一般構造用圧延鋼材)の機械的性質、耐力、硬度、降伏点、引張強さ、成分について

各種物質の硬度(モース硬度)

 

この結果をグラフにしたものを以下に示す。

 

f:id:daikosh:20200126004229p:plain

 

縦軸がビッカース硬さ、横軸が結婚年数である。図から分かるように、結婚年数が増大するにつれて、名称に用いられる素材の硬度が線形的に増大するという傾向は得られなかった。従って、「柔らかいものから硬いものに」なっているという表現は適切ではないことが分かった。しかし、相関係数を計算したところ0.652219となり、結婚年数と素材の硬度に正の相関が多少なりともあることが分かった。従って、「結婚年数が増大すると、素材の硬度は高くなる確率が高くなる」ということは言えるはずである。

 

【結論】

結婚年数とその節目の記念を指す言葉に使用される素材の硬度との関係性を調べたところ、以下のような結論が得られた。

・結婚年数が長くなるに連れて、その節目の記念の名称に用いられている素材の硬度が線形的に高くなるわけではない。

・その相関係数は0.652219となり、正の相関があることが分かった。

・結婚年数が増加すると、素材の硬度は高くなる確率が高くなることが分かった。

 

 

 

というおふざけは置いておいて、そもそも記念日の名称に用いられている素材は硬さで選ばれているわけではなく、「弾力性のある2人の生活を」といった意味で「ゴム婚式」、「永い年月を経て成長する珊瑚に例えて」といった意味で「珊瑚婚式」という具合にそれぞれに意味があったり、その素材に関連したプレゼントを贈り合うといったような理由で選ばれているようだ。詳しくは以下のサイトを参照されたい。

 

wedding.gnavi.co.jp

 

以上、ちょっとした思いつきでやってみただけでした。

怒る人。怒らない人。

 

イライラしている人を見るといつも不思議に思う。どうして彼等は怒るのだろうか。そういう性格だからと言われるとそれでお終いなのだが、ここで私は一つの仮説を立てた。それは

 

「視野が狭い人は怒る。」

 

というものだ。ここでいう視野とはなにも物理的な視界のことではない。起こった事象の背景や状況など、様々な要素を鑑みることができるかという話である。つまり、ある現象が起こった時に、人はその物事を一面的にしか捉えていないから怒るのであって、多面的に捉えるとその事象はどうでもよいこと、もしくはしかたのないことに感じられ、怒らないと思うのである。

具体例を考えてみよう。例えば、カフェで店員さんにコーヒーを自分のお気に入りの服にこぼされたとしよう。さて、あなたなら怒るだろうか。このときにその店員のことを考えてみてほしい。もしかすると、その店員はアルバイトを始めたてであったかもしれない。もしかすると、入店時に自分が身にまとっていた雨の雫で床を濡らし、そのために滑ったのかもしれない。はたまた、その店員は自分の夢を追いかけるために徹夜をし、ふらふらな状態でバイトをしていたのかも知れない。そんな状態でアルバイトをするなと思うかも知れないが、もしそのアルバイトをしなければその日に必要な生活費が稼げなかったらどうだろうか。このようにして、我々はいくらでも想像することができるのである。もちろんこれらは少し非現実的なことなのかもしれないが、ありえない話ではない。いずれにせよ、このようにして考えてみると怒ろうにも怒れなくなるのではないだろうか。

ニーチェがこんな事を言っている。

 

事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。

フリードリヒ・ニーチェ

 

つまり、解釈次第でどうとでも捉えることができるということである。従って、怒る人と怒らない人の違いは、ある事象を自分が腹の立つように解釈をしているか否かということになる。視野が広い人は腹が立たない解釈の方向に自ずと思考しているのだろう。なぜなら視野を広げた場合、我々個々人の存在など無に等しいからである。また、視野を広げれば広げるほど、本当に自分が正しく相手が悪いといったようなことが言えなくなってしまうのである。従って、怒らないというより怒れないと言ったほうが正しいのかも知れない。

おそらく、これに似たような状態が仏教のいう「悟り」なのではないだろうか。全てのスコトーマが外れるのである。そして、この世の中を一つのゲシュタルトとして捉えることができるのである。詳しくは以下の記事に書いているので参照されたい。

 

 

 

 

 

もろは。

 

東出が不倫した。私は芸能情報には疎く、東出が杏と結婚していたことすら知らなかったのだが、東出で思い出した曲があった。それはMOROHAが歌う『tomorrow』である。このPVに冴えないサラリーマンの主人公として東出は出ているのだ。MOROHAはギター1本とラップという独特なスタイルをもったアーティストで、まるで聴衆の魂に直接訴えかけてくるようなストレートな歌詞とその歌い方が特徴である。是非『tomorrow』のMVも見てほしいのだが、心に刺さりすぎてしまう可能性があるので注意されたい。この曲以外にも『革命』や『五文銭』など、気合いを掻き立てるような作品が多い。

ところで、MOROHAと聞くと、諸刃の剣という言葉を連想させる。改めて意味を調べてみた。

 

《両辺に刃のついた剣は、相手を切ろうとして振り上げると、自分をも傷つける恐れのあることから》一方では非常に役に立つが、他方では大きな害を与える危険もあるもののたとえ。両刃の剣。

諸刃の剣(もろはのつるぎ)の意味 - goo国語辞書より)

 

まさにMOROHAの音楽に言えることだろう。彼等の作品は、その良し悪しは置いておいて心に響く。そのエネルギーをプラスに変えられるか、ダメージを受けるかは人に依る。名前の由来が果たして本当にこの「諸刃の剣」から来ているのか気になったので、調べてみた。すると、名前の由来について答えているMOROHAのインタビュー記事を見つけることができた。

 

——MOROHAという名前の由来を教えてください。

A : 最初は漢字の名前にしようと思っていたんですけど、それだとなんかフォークの人達っぽく見られるような気がして(笑)。だからといって英語も気取ってるみたいで僕らっぽくないから、諸刃っていう言葉をローマ字表記にしてみたんです。なんでMOROHAかというと、言葉は人を傷つけも癒しもするっていう意味合いもあるし... でも、2人でやってるからっていうのが一番大きいかな。

MOROHA 『MOROHA』 インタビュー & 配信開始!! - OTOTOYより)

 

諸刃の剣の意味からも含まれているようだが、二人でやっているからということが大きいそうだ。いずれにせよ、彼等の曲には大きなエネルギーがあることに間違いはない。是非一度、ダメージを覚悟の上聴いてみてほしい。

 

 

www.youtube.com